萬行寺

萬行寺について

享禄2年(1529年)に御本山の命で性空が開基となり普賢堂町に草庵を結び、天文5年(1536年)に御本山より寺号を許され普賢山萬行寺となりました。
弘治3年(1557年)に普賢堂町より、櫛田神社前の冷泉町(旧馬場町)へ移転し、冷泉町は萬行寺前町と呼ばれていました。
寛文5年(1665年)に現在の地である祇園町に移転し、念仏の道場として今日に至ります。
福岡(筑前)の浄土真宗本願寺派の代表たる寺院です。

寺紋 抱き沢瀉(おもだか)紋

山門の大きな寺紋は、第5世住職正海が石山合戦において本願寺の援軍であった広島の毛利家と共に武器、食料などの輸送に成功しました。 その功で毛利家より裏紋であるおもだか紋をいただき、以来寺紋としています。

明月尼の墓

明月は源氏名で本名はお秋といいました。 両親を亡くし、許婚を亡くし、生きる希望を失い遊郭に売られた薄幸の美女でした。 供養のため訪れた萬行寺住職の正海和尚と出会い、熱心に参詣を続けたといいます。 しかし、彼女は22歳という若さで病にかかり儚くなってしまうのです。 明月の四十九日の朝、墓を破って一輪の白い蓮の花が咲き、墓を掘りあらためたところ明月の亡骸は今なお生きているようで、微かに微笑むその口から茎が伸びでていました。 信心深かった遊女の、明月の墓から四十九日に蓮華の花が咲いたという「明月の墓」があります。

大銀杏

空高くそびえる姿を目にすることができます。 色づいた頃のイチョウは圧巻です。 本堂にはご法要のとき以外は自由に出入りができますし、ご参詣の方の休憩所もあります。